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『たかが世界の終わり』

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グザヴィエ・ドラン監督最新作、『たかが世界の終わり』。

自分の余命が残りわずかであることを伝えるために、別れて12年経つ家族の元に帰る劇作家のルイ。遥かぶりに会う息子のために手料理を振る舞いおしゃれをする母と、幼い頃に別れて以来で楽しみにする妹、そして兄とその嫁。

兄だけはルイが帰ってきたことを良く思わず、家族と楽しく話をしていても茶化したり意地悪を言う。その度に場の空気が険悪になり、家族同士で言い合いとなり怒号が飛び交い、修羅場になる。

そんななかでも、ルイは折を見て話を切り出そうとするが、その度に言い合いが始まり結局そのまま時間が過ぎてしまう。見ている者からは、どのタイミングでどんな風に話を切り出すか、その度に期待をしては挫かれる。きっと家族が分かりあいハッピーなエンディングで幕を引くものと期待をしながら見続ける。しかし、エンディングまでルイは打ち明けられずに終わる。それも、最悪な別れ方で。

どんな家族でも「どんなことでも共感できて、いつでも甘えられて、応援してもらえるもの」ではない。もしもそんな家族がいるならば、とても恵まれていてこの上ない幸せなのだ。この作品は、家族であっても分かり合えずお互いに孤独を抱える、そんな家族を甘やかしたり美化することなく、真っ向から描いた作品。母の「あなたのことは理解できない。でも愛している。」という言葉がすべてを表しているように。愛があるがゆえに悲劇になってしまう。

思いがけないエンディングは後を引き、胸を締め付けられる。そこから目を背けずに正面から描き、見る者からは歓迎されない終わり方に光を当てた、素晴らしい作品。

カルテットを見ています

特定のテレビを見ないわたしですが、TBSの『カルテット』を毎週見ている。

第4話まで見たところで、最初に想定していた4人の相関図がかなり変わり始めてきている。なにかしらの理由があって3人はマキさんに近づいていた。

一見とってもおしゃれなドラマで、自宅の内装も洋服も舞台も設定も、そして4人のシュール感も洗練されたおしゃれさがある。不思議なボケもそのおしゃれ感を際立たせている。もたいまさこが出ていることでそのおしゃれ感は格別なものになってる。

そこに、サスペンスの要素が入ってきて、視聴者は「ただのおしゃれなドラマじゃない!」と気づいていく。先が見たくなるドラマ! 絶妙なバランスで成り立っているドラマ。

個人的にはすずめちゃんがかわいくて大好き。満島ヒカリの素を見ている気分になる。トイレのスリッパ履いちゃいたい。

悪いくせ

人にはひとつやふたつ、いや、みっつくらいは「くせ」があるだろう。

それは体の動かし方や話し方によくあるものだけど、最近自分で気づいたくせが「考え方」のくせ。

もともと、ありもしないことを思って悲しんだり、やる前からああだこうだ考えすぎて行動できず、いざ動いてみたら簡単なことだったり、こんな風な頭の使い方をしてきたわたし。1を100にするのが得意技で、その細部のすみずみまでくまなく考えを巡らせる。ミクロの考え方をしがち。

この考え方こそ厄介者で、とくに困るのが対人関係。基本的には人のことがすきだから新しい人と出会うことはすきだけど、いかんせんこの考え方のくせが発揮されると、相手の表情や言動ひとつでけっこう自分が勝手にくらったり傷ついたりする。相手は何も悪くないのに。そしてアタフタしてしまう。飲み込まれてしまう。

この悪いくせを直そうと、最近はすてきだと思う人の動きや考え方を観察して盗んだりしている。どしんと構えてゆっくり考えて話す。直ったらまたここに報告を。

アップリンク

前衛的なカルチャーを発信し続ける、渋谷のディープな複合施設『アップリンク』。1987年に映画配給会社として始まり、製作からプロデュース、シアターの運営など、さまざまな形態で映画文化を牽引してきました。まだ名も知れぬ新進気鋭な監督作品や自主製作作品など、世界各国の類まれなる多彩な映画を配給・上映し、世界中から小規模でおもしろい映画をセレクトするその目利きは、一目置かれる存在です。

施設の中には、映画館だけでなくギャラリーやマーケット、カフェレストランが併設。ギャラリーにはクリエイター作品が展示され、2階に上れば映画関連のグッズや書籍が並ぶマーケットでショッピングも楽しめます。カフェレストラン『タベラ』では「異国の地で立ち寄ったカフェ」のコンセプトのとおり、旅人気分で多国籍料理を味わうことができます。

アップリンクカルチャーの交差点。ここで体験できる文化は、必ずあなたの感性に触れるはずです。

 

前を向いて進むこと

毎年年始になると律儀に一年の目標を立ててきたけど、その目標が果たされたことは多分ほとんどなかった。欲張りすぎていた結果だろう。

今年は目標ではなく”やりたいこと”と改め、それも現実可能であり本気で取り組みたいことを3つにしぼってみようと思う。

 

2017年にやりたいこと

その1

出会い・仲間を増やす

昨年からの素敵な出会いに刺激を受けっぱなしのわたし。2017年はもっと出会いを増やして友達の輪を広げたい。友達と一緒に仕事をしたり、身内だけで協力し合って何かを成し遂げたり作り上げたりできればいいなと思う。

 

その2

このブログを定期的に更新し、仕事以外で書く場所を確立すること。自分に甘えて書かないことが多くなりがちだけど、何かを目に見えるかたちに残していきたい。継続することこそ力なり。SNSの更新も然り、情報発信を続けていけるようがんばります。

 

その3

他人を許容する、自分を認める。とくに身近な友達や家族には労ったり優しくしてあげたりすることができないわたし……。親しき仲にも礼儀あり。もっと人に対して優しくなれる人間になりたい。そして自分のことを卑下し続けて落ち込む毎日もいい加減にどうにかしたい……。自分を認めてあげられるようになりたい。

 

仕事は楽しく、だけどお金をきちんと稼ぐ。

そして大恋愛といえる恋を求めて・・・2017の幸せを願うだけでなく、努力で切り開きたいと思います。

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

 

2016の振り返り

2016年を振り返る。出来事トピックスとしては、去年から続く新たなる音楽との出会いを深堀できたのと、自分を構成するくらいの新しい人との出会いがたくさんあった一年だった。

音楽に関しては、去年のceroブームから派生して知った音楽のミツメ、シャムキャッツを筆頭に、カクバリズム周辺の片思い、スカートから、D.A.N.、これまで聴いてこなかったジャンルのSTUTS、seiho、PUNPEEあたりまで、かなり聴き込んでライブにも足を運んだ。音楽的に大好きなのもあるけど、やっぱり東京ローカルというか、インディーズのまたその下で活動していることに魅力を感じているんだと思う。ローカルにつきる。

一番聞いた音楽でいうと、ミツメだと思う。新譜発売したのとライブ回数が多かったのもあって、過去作含め2016年で一番聴き込んだアーティスト。

 

新しい出会いの方は、なちの紹介から始まってコミューンの方々、ふみちゃんとの再開、清水くんやその仲間達、ゆうかとあきえ、りえことも今までで一番会えたし、こうじさんにも覚えてもらえて嬉しな、とにかく友達が増えた素敵な年だった。しかもこの人たち知らないところで繋がりまくってるし、先に話した音楽関係の人とも繋がりまくっている。なんだか不思議なご縁、大切にしたいご縁。

 

そして年末の年末に一大決心。この世界に裸で飛び込むことを決意!

「やってみなくちゃわかんない」この言葉の意味が今になって初めてよくわかる。今までは先が見えないところに飛び込むなんて頭になったことがなかったし、やってもないことを不安に思ったりして安全なところで生ぬるく生きてきていた。だからこんなに挑戦的にアクティブになれたことは自分でも感動しているし、そんな自分を応援したい。どんな風になりたいのか、どんな仕事ができれば満足なのかをこのお正月にゆっくり考えてみよう。恋人もおらず完全フリーになったわたしは、いまとても強い。

音楽論についてメカラウロコなことを学んだ

音楽に対する向き合い方・考え方、ライターとしての幅を広げることをしたい、何よりおもしろい世界の話を聞きたいと思い、オトトイの音楽ライター養成講座に参加してきた。最終回のみだったのが悔やまれる。。

事前に提出していた原稿に対して、岡村詩野さんがコメントと添削をしてくれる。参加している受講生は15〜20人くらいで、みんなの原稿を全員で読みながら講義を進めていく。初めての音楽に関する原稿制作で、あらゆるインタビュー記事や書評を読み込んで時間をかけて作り上げた。多分、リサーチを含めると10時間くらいかけた。

 

わたしの原稿に対しては初稿だったにも拘らず及第点とのコメントをいただけた。だけど大きく不足している点が、「書き手の立ち位置」。「書き手不在」というやつ。自分だけの視点、自分の存在をもっと原稿の中に入れ込まなければ、わたしが書く意味がない。自分の観点、切り口で書かないとただのどこにでもある紹介レビューになるだけ。

この観点は仕事における原稿制作では一切必要な部分だったので、完全に抜け落ちていた、メカラウロコ。。次回再提出し、オトトイのサイト上に掲載される予定。第一回から参加したかった!次回リベンジしよう。

 

その後タナソウが登場し、2016年はなぜ音楽豊作の年だったのかについてたっぷり4時間ほど話してくれた。いろんな観点があって、その中でもいま世界で起こっていることが音楽に対して作用していること。アメリカ次期大統領にトランプが当選したこと、イギリスがEUから離脱を発表したことなど、情勢に影響を受けて、アーティストがさまざまなアングルから音楽を作って発表した。その幅が広かったことも方作だった理由のひとつ。

邦楽はというと、どれも似通ったサウンドと歌詞で、幅がなかった。そして日本の音楽のサウンドは60〜70年代から一向に進化していないということだった。ベニーシングスがそう思っているということだから、外から見てもそう思えるようなものなのだろう。そうなっている原因についてタナソウも、分からないと言っていた。サカナクションでさえ、99年でそのサウンドは止まっている。音楽は引用と解釈の繰り返しで歴史をなぞって繰り返すものだから、そこにどう時代と合わせるかというのが音楽の作り方。真新しく何からも影響を受けていない音楽はない。

そしてわたしがもっとも興味のある邦楽インディーズ界隈に関して、2015年発売の森は生きている「GOOD NIGHT」がバンドブームのレクイエムだと言っていた。牽引してきたceroでさえ今年はシングル1枚のみのリリースで、ここからの作戦を練っているところだと見ているようだった。ショックではあったけど、反論の余地はないなとも思った。何がダメだったのかといえば、どれもこれも代わり映えしていないということ。歌詞もサウンドも、突出していいものがないし同じ空気感が漂っている。

音楽を構成するには、トピックス(テーマ・題材)、メタファー(表現方法)、そしてライム。取り上げる題材も表現方法も似通っているし、邦楽は韻を踏まない。ヒップホップでやってるだけで、海外ではロックでもポップスでも意味のない譜割りでライムをいれてあそんでいる、そこが幅をもたせていると。

そしてバンドという形態は効率が悪い。偶然出会ったそこそこ楽器が出来るメンバーとバンドを結成するから、素晴らしいメンツでの楽曲制作ができない。海外ではプロに頼んで演奏してもらったり、エンジニアを雇ったり、効率的に音楽を作っている。

音楽ライター養成講座にて。。