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音楽論についてメカラウロコなことを学んだ

音楽に対する向き合い方・考え方、ライターとしての幅を広げることをしたい、何よりおもしろい世界の話を聞きたいと思い、オトトイの音楽ライター養成講座に参加してきた。最終回のみだったのが悔やまれる。。

事前に提出していた原稿に対して、岡村詩野さんがコメントと添削をしてくれる。参加している受講生は15〜20人くらいで、みんなの原稿を全員で読みながら講義を進めていく。初めての音楽に関する原稿制作で、あらゆるインタビュー記事や書評を読み込んで時間をかけて作り上げた。多分、リサーチを含めると10時間くらいかけた。

 

わたしの原稿に対しては初稿だったにも拘らず及第点とのコメントをいただけた。だけど大きく不足している点が、「書き手の立ち位置」。「書き手不在」というやつ。自分だけの視点、自分の存在をもっと原稿の中に入れ込まなければ、わたしが書く意味がない。自分の観点、切り口で書かないとただのどこにでもある紹介レビューになるだけ。

この観点は仕事における原稿制作では一切必要な部分だったので、完全に抜け落ちていた、メカラウロコ。。次回再提出し、オトトイのサイト上に掲載される予定。第一回から参加したかった!次回リベンジしよう。

 

その後タナソウが登場し、2016年はなぜ音楽豊作の年だったのかについてたっぷり4時間ほど話してくれた。いろんな観点があって、その中でもいま世界で起こっていることが音楽に対して作用していること。アメリカ次期大統領にトランプが当選したこと、イギリスがEUから離脱を発表したことなど、情勢に影響を受けて、アーティストがさまざまなアングルから音楽を作って発表した。その幅が広かったことも方作だった理由のひとつ。

邦楽はというと、どれも似通ったサウンドと歌詞で、幅がなかった。そして日本の音楽のサウンドは60〜70年代から一向に進化していないということだった。ベニーシングスがそう思っているということだから、外から見てもそう思えるようなものなのだろう。そうなっている原因についてタナソウも、分からないと言っていた。サカナクションでさえ、99年でそのサウンドは止まっている。音楽は引用と解釈の繰り返しで歴史をなぞって繰り返すものだから、そこにどう時代と合わせるかというのが音楽の作り方。真新しく何からも影響を受けていない音楽はない。

そしてわたしがもっとも興味のある邦楽インディーズ界隈に関して、2015年発売の森は生きている「GOOD NIGHT」がバンドブームのレクイエムだと言っていた。牽引してきたceroでさえ今年はシングル1枚のみのリリースで、ここからの作戦を練っているところだと見ているようだった。ショックではあったけど、反論の余地はないなとも思った。何がダメだったのかといえば、どれもこれも代わり映えしていないということ。歌詞もサウンドも、突出していいものがないし同じ空気感が漂っている。

音楽を構成するには、トピックス(テーマ・題材)、メタファー(表現方法)、そしてライム。取り上げる題材も表現方法も似通っているし、邦楽は韻を踏まない。ヒップホップでやってるだけで、海外ではロックでもポップスでも意味のない譜割りでライムをいれてあそんでいる、そこが幅をもたせていると。

そしてバンドという形態は効率が悪い。偶然出会ったそこそこ楽器が出来るメンバーとバンドを結成するから、素晴らしいメンツでの楽曲制作ができない。海外ではプロに頼んで演奏してもらったり、エンジニアを雇ったり、効率的に音楽を作っている。

音楽ライター養成講座にて。。