dorian

migirl

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ここ1ヶ月ほどで起こった出来事から、いろんなことを考えていた。導き出された考えから、もしかしたら自分は少し大人になったかもしれないと思えて、少しだけうれしい気持ちもある。喜んでいるけど、導き出された気づきはネガティブなことばかり。

他人は変えられない

ひとつめの気づきは、他人は変えられないということ。これは本当に最近まで知らなかったことだった。というか、体験したことがなかった。「これはやってはいけません」「こういうことをされるのはいやだ」と言われたら、少なからず改めようと思う。恋人や友達や家族や、身近にいる大切な人に言われたらなおのことそうなるはず。

人はみんなそういうものだと思っていたからかもしれない。他人のことは変えられないと気づいた。厳密に言えば変えられるだろう。だけどそこに、たくさんの愛情とパワーと時間が必要になる。そこまでして変える必要があるのか、変えたいと思えるのか。そこでわたしにはその必要性が感じられなかったというだけのことかもしれない。

他人を変えることができないという気づきは、ネガティブな発見かもしれんしけど、わたしの中では感動的ともいえるほどの発見だったと思う。ちょっと大人になれた気がしました。

 

今いる周りの人を大切にしよう

もうひとつが、今ある周りの人を大切にしなくちゃいけないということ。これは仕事の時に先輩が言っていた言葉だった。家族や友達や恋人の存在は、当たり前と思っちゃいけない。わたしを好きでいてくれて、一緒にいてくれる周りの人はとても大切な存在だ。これまでわたしは上を目指していたこともあって、新しい知り合いや友達や恋人との場を楽しんでいたし時間やお金もかけていた気がする。今でも新しい出会いは大切にしたいと思うし積極的だけど、それよりも今いる周りのみんなのことを大切にしたいと思った。自分のことじゃなくて、わたしの周りの人たちにいつまでも幸せでいてほしい。

 

表面的でミーハーな勘違いは浅はか

もうひとつ、どきっとしたことがあった。

「好きでもない人からモテたいと思うのは、インスタのフォロワーがたくさん欲しいと思っているのと同じ」

そんなのみんな同じじゃないの?と思っていた。武装して隠しているけど、みんな同じこと思ってるんでしょ?

「今年は100本映画を見る!ということじゃなくて、大切なのはひとつの映画を見て何を思ったのか、どんな学びや気づきがあったのか」

これは去年自分がかかげていた目標だったんだけど、3ヶ月ほどで断念。最初は意気込んで見終えた後に日記帳にレビューをかいていたけど、やっぱりその義務感が嫌になったんだろうと思う。

 

上は会社の人の言葉で、下はTwitterのタイムラインに誰かがリツイートして偶然目にとまたツイート。

言わずもがな言葉たち、今の自分にはグッときたんだ。浅はかでうすっぺらな自分に嫌気がさした。suchmos的に「風船ばっか聞き飽きたよ うんざりだもう」。風船女。

 

それでもようやくここ最近、自分のことを肯定できるようになってきた。前よりは自信を持って発言ができるようになってきたと思うし、恐れなくなったとも思う。

いろんなことを考えすぎずポジティブにやっていくには、もう少し時間がかかりそうだけど、前よりは前進したのかな。

 

mitsumeのmitsumeやeyeあたりの初期をきちんと聞いたら、恋の歌いっぱいあったんだなって気づいた。久々にフジファブリックを聞いたら、少しmitsumeに通じるものがあったんだ。