2016の振り返り
2016年を振り返る。出来事トピックスとしては、去年から続く新たなる音楽との出会いを深堀できたのと、自分を構成するくらいの新しい人との出会いがたくさんあった一年だった。
音楽に関しては、去年のceroブームから派生して知った音楽のミツメ、シャムキャッツを筆頭に、カクバリズム周辺の片思い、スカートから、D.A.N.、これまで聴いてこなかったジャンルのSTUTS、seiho、PUNPEEあたりまで、かなり聴き込んでライブにも足を運んだ。音楽的に大好きなのもあるけど、やっぱり東京ローカルというか、インディーズのまたその下で活動していることに魅力を感じているんだと思う。ローカルにつきる。
一番聞いた音楽でいうと、ミツメだと思う。新譜発売したのとライブ回数が多かったのもあって、過去作含め2016年で一番聴き込んだアーティスト。
新しい出会いの方は、なちの紹介から始まってコミューンの方々、ふみちゃんとの再開、清水くんやその仲間達、ゆうかとあきえ、りえことも今までで一番会えたし、こうじさんにも覚えてもらえて嬉しな、とにかく友達が増えた素敵な年だった。しかもこの人たち知らないところで繋がりまくってるし、先に話した音楽関係の人とも繋がりまくっている。なんだか不思議なご縁、大切にしたいご縁。
そして年末の年末に一大決心。この世界に裸で飛び込むことを決意!
「やってみなくちゃわかんない」この言葉の意味が今になって初めてよくわかる。今までは先が見えないところに飛び込むなんて頭になったことがなかったし、やってもないことを不安に思ったりして安全なところで生ぬるく生きてきていた。だからこんなに挑戦的にアクティブになれたことは自分でも感動しているし、そんな自分を応援したい。どんな風になりたいのか、どんな仕事ができれば満足なのかをこのお正月にゆっくり考えてみよう。恋人もおらず完全フリーになったわたしは、いまとても強い。
音楽論についてメカラウロコなことを学んだ
音楽に対する向き合い方・考え方、ライターとしての幅を広げることをしたい、何よりおもしろい世界の話を聞きたいと思い、オトトイの音楽ライター養成講座に参加してきた。最終回のみだったのが悔やまれる。。
事前に提出していた原稿に対して、岡村詩野さんがコメントと添削をしてくれる。参加している受講生は15〜20人くらいで、みんなの原稿を全員で読みながら講義を進めていく。初めての音楽に関する原稿制作で、あらゆるインタビュー記事や書評を読み込んで時間をかけて作り上げた。多分、リサーチを含めると10時間くらいかけた。
わたしの原稿に対しては初稿だったにも拘らず及第点とのコメントをいただけた。だけど大きく不足している点が、「書き手の立ち位置」。「書き手不在」というやつ。自分だけの視点、自分の存在をもっと原稿の中に入れ込まなければ、わたしが書く意味がない。自分の観点、切り口で書かないとただのどこにでもある紹介レビューになるだけ。
この観点は仕事における原稿制作では一切必要な部分だったので、完全に抜け落ちていた、メカラウロコ。。次回再提出し、オトトイのサイト上に掲載される予定。第一回から参加したかった!次回リベンジしよう。
その後タナソウが登場し、2016年はなぜ音楽豊作の年だったのかについてたっぷり4時間ほど話してくれた。いろんな観点があって、その中でもいま世界で起こっていることが音楽に対して作用していること。アメリカ次期大統領にトランプが当選したこと、イギリスがEUから離脱を発表したことなど、情勢に影響を受けて、アーティストがさまざまなアングルから音楽を作って発表した。その幅が広かったことも方作だった理由のひとつ。
邦楽はというと、どれも似通ったサウンドと歌詞で、幅がなかった。そして日本の音楽のサウンドは60〜70年代から一向に進化していないということだった。ベニーシングスがそう思っているということだから、外から見てもそう思えるようなものなのだろう。そうなっている原因についてタナソウも、分からないと言っていた。サカナクションでさえ、99年でそのサウンドは止まっている。音楽は引用と解釈の繰り返しで歴史をなぞって繰り返すものだから、そこにどう時代と合わせるかというのが音楽の作り方。真新しく何からも影響を受けていない音楽はない。
そしてわたしがもっとも興味のある邦楽インディーズ界隈に関して、2015年発売の森は生きている「GOOD NIGHT」がバンドブームのレクイエムだと言っていた。牽引してきたceroでさえ今年はシングル1枚のみのリリースで、ここからの作戦を練っているところだと見ているようだった。ショックではあったけど、反論の余地はないなとも思った。何がダメだったのかといえば、どれもこれも代わり映えしていないということ。歌詞もサウンドも、突出していいものがないし同じ空気感が漂っている。
音楽を構成するには、トピックス(テーマ・題材)、メタファー(表現方法)、そしてライム。取り上げる題材も表現方法も似通っているし、邦楽は韻を踏まない。ヒップホップでやってるだけで、海外ではロックでもポップスでも意味のない譜割りでライムをいれてあそんでいる、そこが幅をもたせていると。
そしてバンドという形態は効率が悪い。偶然出会ったそこそこ楽器が出来るメンバーとバンドを結成するから、素晴らしいメンツでの楽曲制作ができない。海外ではプロに頼んで演奏してもらったり、エンジニアを雇ったり、効率的に音楽を作っている。
音楽ライター養成講座にて。。
【課題】A Long Day 解説
「なんでもない一日も後から眺めてみれば、悲しみや喜びがある」。ミツメの2年半ぶりとなるフルアルバム『A Long Day』には、なにもない一日こそ愛すべき美しさがあるんだと感じられる、平穏な中にも喜びや悲しみがつまっている。
アートワークを含め、印象的さや掴みやすさはほとんどない。混沌とした所在なげなムードが全体を流れる。しかし、聴き進めるうちに妙に生活の一部に馴染み溶け込んでいく。アルバムという大きな流れの中でストーリーが展開されていき、まるでひとつの映画のような印象だ。疾走感のあるポップなサウンドから、ゆったりとしたファンクを経て徐々にムードに変化が生まれ始める。そしてこのアルバムのハイライトと言えるだろう「船の上」「漂う船」。不安な気持ちになるような、穏やかな気持ちになるようなインストが、アルバム全体に大きな を印象を与えている。とくにギターの音色に中毒性があり、初めてライブで見たときは呆然と眺めることしかできなくなる不思議な感覚があった。このアルバムは言うまでもなく、今作オリジナルのミツメ・サウンドが構築された大作だ。
前作は、録音物でしか表現できない音をテーマに制作された実験作で、サウンドにも厚みがあった。その反動か、その後は”音の少なさ”を突き詰め、4人で演奏するバンド・サウンドを追求している。初期作品から遡ってみても、やはりシンプルに構成されたスカスカな音に平熱なボーカルがのって淡々と流れていくそれこそ、ミツメの音楽の完成系だ。「多重録音で制作した曲をライブで披露するには手が足りない」と彼らが語っていたように、今作はライブでの演奏に乖離をなくした4人の姿がハッキリと見える。リリース直後の完全再現ライブは、何度もライブに足を運んできた私には ”バンド演奏にこだわる”という前提があったからこそ、リリース直後の完全再現ライブは意味があるものだったと思えるし、何度聴いてもあの日の渋谷WWWで見た4人がイヤホンからも聴こえてきて、なんともスリリングなのだ。
最近では海外でのライブ活動も多く、ミツメの音楽は場所を選ばない。そしてミツメの音楽は”聞きたい気分”も選ばない。悲しかった日も楽しかった日も、どんな気分にも似合う。楽器さえあればどこにいても演奏でき、どんな気分にも似合うのがA Long Dayなのかもしれない。
銀杏BOYZとの人生を振りかける
銀杏BOYZがトリビュートアルバムを発売した。
トリビュートを制作していること、それに参加アーティストを知ったときからいろんな想いが込み上げてわくわくして、あぁ、CDリリースをこんなに楽しみに待つのはどれくらいぶりだろうと思った。
銀杏BOYZは青春を共にした、高校・大学時代の思い出がすべて詰め込まれている、正真正銘大好きだと言えるバンド。今回のトリビュート発売は夢のよう。
初めて聴いたのは中学生のときのGoingSteadyだった(2003年)。バンドブームの中でもひときわ人気だったし、クラスの女子も男子も聴いていた。かっこいいと思った。そのとき好きだった男の子が「佳代」をカラオケで歌っていたと知って、佳代が神々しく聞こえてとにかく聞き込んだ。
その後ゴイステは解散して銀杏BOYZになり、わたしは高校生になった。同じクラスの好きな男の子がパンクロックが好きだと知り、ゴイステ好きなんだよね!と話しかけて打ち解けた。彼に「第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」を借りて聴いた(2005)。当時はストレートすぎる歌詞に面食らったけどめちゃくちゃかっこよかった。好きな彼が銀杏を好きだということがとても嬉しかった。筑紫哲也 NEWS23に生出演することを知って、実家のテレビにかじりついて瞬きもしないくらいその姿をみた。お母さんもその場にいたけど、テーブルの上に乗ってパンイチで大熱唱しているその姿にポカンとしていた。わたしは嬉しくておかしくてたまらなかった。あれは高校生の時だったのかと、いま振り返ってぎょっとした。
高校を卒業して上京し、大学生になった(2008)。そこで仲良くなった亜美がロック好き少女で、ここでも銀杏BOYZが共通点となり仲良くなった。ライブによく一緒に行くようになった。アイドルパンチや少年ナイフと対バンした渋谷クワトロ、川崎チッタ、新木場コーストの戦争反対ツアー。もっと行っていたかもしれない。
銀杏のライブは、死を覚悟するほどもみくちゃになってモッシュが当たり前のとにかく激しいものだった。チンくんはステージ上で流血するし、峯田はあばれて客席を通ってどこかへ行ってしまった。新木場コーストの帰り、わたしは帰り道がわからなくなり池袋で一人ぼっちで一夜を明かした。
大学を卒業し、就職した(2009)。聴く音楽の幅が広がって銀杏BOYZの活動を追わなくなったけど、なんとなく入った下北沢のレコファンで「恋と退屈」を見つけて買った。高校生の時から読んでいた峯田のブログ「あさやけ☆にゃんにゃん」と「ガブガブdieアリー」が書籍化されたもの。読んでいくうちにわたしの生活にまた銀杏が入ってきた。久々に亜美と再会して、峯田が昔住んでいた成増まで車を出した。恋と退屈に載っている写真を頼りに、峯田への想いを馳せながら車を走らせた。
その後、職場に彼氏ができた。彼もまた峯田がすきだった(2010)。峯田のことが好きで、中野に住むほどだった。彼の家に行くたびに、峯田に会えないかな?とそわそわして周りをキョロキョロしていた。彼は何度か峯田を見かけたことがあると言っていた。その彼とは別れてしまったけど、大好きな人だった。
その後、銀杏BOYZは目立った活動がみられなくなった。そしてチンくん、あびちゃん、村井くんが続々と脱退し、峯田はひとりぼっちになった。ここ数年峯田はサブカルおしゃれ野郎に転身したと思っていて、みうらじゅんやリリーフランキー、宮藤官九郎、松尾スズキと何かしたり、NHKで麻生久美子と共演したりした。そしていま2016年、素晴らしいアーティストが参加したトリビュートを発表した。
わたしのこれまでには、銀杏BOYZがきっかけで仲良くなった人がそれぞれのタイミングにずっといた。銀杏BOYZが始まってから今現在まで、ポイントポイントに出会いがあった。だけどその人たちは、いまでは誰も繋がっていない。あんなに盛り上がってカラオケで歌って楽しかったのに。
ここまで長く見てきたバンドは、後にも先にもいないかもしれないなと思った。そしてこれからも、やっぱり遠くからずっと応援したい。
好きな曲はたくさんあるけど選びきれないので、とくに大好きなものを。
名盤中の名盤。
銀杏BOYZ/トラッシュ
初めて聞いたとき、いちばんすきになった曲。
お月様はパンクを聴いてる。
銀杏BOYZ/SKOOL KILL
PVに元カノを出す。PVめちゃくちゃ見て中野で探した。大好き。
銀杏BOYZ/東京
東京というタイトルの楽曲には素晴らしいものがたくさんあるんだけど、これが筆頭。小田急線や環七に憧れた。
銀杏BOYZ/あいどんわなだい
待望の新曲だった!峯田がやる♪あいどんわなだーいのフリが大好き。
ラブラブシールはりたい
紫と無邪気を身にまとう
音楽を聴いているとき、何気ないのに耳にとまるセンテンスがある。それも、その曲を聴いていない日常生活の中で、ふっと頭に思い浮かぶことがあるのはなんなんだろう?
「紫と無邪気を身にまとう」
今日急に出てきたのがこのワードだった。だけど、この言葉だけが先行していて、誰の曲だったか思い出せない。思い出せるのは、その曲を聴いていたときのわたしの心情や風景や状況だけ。
記憶のなかで「紫と無邪気を身にまとう」は、わたしが4〜5年前によく聴いていたことや、男性が歌っていること、少しもの悲しい曲だったことが思い出された。それ以外は分からない。お風呂に入りながら考え、ドライヤーで髪の毛を乾かしながら考え、もうお手上げ状態になったので、最終手段の答え合わせ(google検索)をすると、スチャダラパーの「From 喜怒哀楽」だった。あぁぁあ、そうそう!これこれ!
確かにわたしの記憶は一応3つとも合っていた。厳密に言えばトンチのきいたギャグラップなので「もの悲しい曲」ではないけど、「喜怒哀楽」の「哀」の部分を歌ったセンテンスだったので、印象としては合っている(はず)。
ところで「紫と無邪気を身にまとう」ってなんだ?「やつは紫と無邪気を身にまとい現れた 僕らの目の前に」。ラップで結果が出ず田舎に帰ると言い出したやつのことなんだけど、「紫と無邪気」かぁ。すごいセンテンスだよなぁ。わたしなんてヘタしたら、紫色を見るだけでもこの歌詞が頭を過るかもしれないし、あぁ歌詞の持つ力はすごい。それをメロディーに乗せて歌うから覚えられるし口ずさめる。音楽における歌詞ってやっぱりすごい力を持っている。
わたしは自分で楽器が出来るわけではないし、作曲をしたこともないから、音楽を聴くときにサウンドだけに注目して聴いたり、ギターの音色だけを聴いたり、そういった専門的な聴き方はできない。個人的に音楽に対して「いい」「わるい」とか「すき」「きらい」と思うのは、やっぱり歌詞の力があるんだろうと思う。
「紫と無邪気を身にまとう」には記号性はないし、共感や感動するものじゃないけど、パンチ力がハンパなく強いセンテンスなんだと思う。思い出したのがスチャダラパーの曲で幸せです。
スチャダラパー/From喜怒哀楽
ベストディスク2016 A Long Day/ミツメ
来週、岡村詩野さんの音楽ライター講座を受講しに行く。目的は
①いちユーザーとは違う音楽の聴き方を学びたいこと
②聴いたり感じたものを効果的に魅力的に表現できるようになりたいこと
③幅広い知識を身につけたいこと
④現場から頭ひとつ飛び出したいということ
そして、⑤たのしそうだから。
授業では、2016年にリリースされた楽曲をひとつ取り上げて、それについて縦や横のつながりや立ち位置、歴史的背景から作品の理解を深めていくというもの。実際その場でアドバイスをもらいながら執筆を進める。
そこでわたしが取り上げようと思っている2016ベスト・ディスクはミツメの「A Long Day」。今回はA Long Dayについて4人のインタビューを読み返し、改めて聞き込んで、ここにまとめてみようと思う。
実はミツメを初めて聞いたのも見たのも今年に入ってからか、去年の年末だった。
ミツメのA Long Dayは、完全再現ライブを見にwwwに行った。事前にアップルミュージックで聴いていたけど、「漂う船」辺りのまおくんギターがぴゃーんぴゃーんと続くインストに不気味さを感じたという印象があった。見に来ていた王舟がTwitterで「途中意味不明で最高だった」とツイートしていて、本当にこれだ!と首を縦に振りまくった。意味不明で最高だった。
この作品はいろんなメディアのインタビューで、「自分たち4人だけで演奏できる音だけで作った」としきりに話していた。「ささやき」では多重録音でいろんな楽器をたくさん使っていたから、ささやきツアーにも拘らずライブで演奏できた曲が数曲しかなかったと言っていた。だからよりライブの音とCDの音に乖離が出ないように作ろうとした作品だと。
わたしは個人的にciderciderや怪物みたいにまおくんのシンセパートが入ってる曲が好きなんだけど、A Long Dayのもっともポップな「あこがれ」にもシンセは入ってない。
でも相変わらず大好きなギターの細かな掛け合いがあって、たまらない。
A Long Dayは「平凡で何も起きない一日。でも後から振り返るとそんな一日が輝いて見える」というようなコメントを川辺さんがしていた。全体的に不穏な匂いも漂っているというようなことも話していたような。
A Long Day要素
・音数を減らした
・4人の演奏がちゃんと聞こえる構成(誰がなにをひいているか)
・不穏なムードと混沌さ
・デモ段階で作り込まずそれぞれが意見出してつくった
・バンドの理想形
・歌詞はこれまでより耳に残るセンテンスが増えた
・危ういバランスと攻め
・ファンク要素
ミツメ
・2本のギターカッティング
・シンセの音色
・音数少ないスカスカ
・マイペースな活動
・仲がいい
・向く先が国外
わたしが個人的にこれまでライブを見たり音楽を聴いたりインタビューを読むなかで感じたことは、「自分たちの特徴や個性の魅せ方に優れている」。写真やミュージックビデオを見ても音をきいてもMCでも、ミツメに求めるものをハズさずいつも明中させてくれている。世間が求めるミツメをちゃんと出してくれる。それは既成的なことやつまらないことじゃなくて、自分たちの良さをちゃんとわかっているセルフプロデュースの賜物なのかと思っている。4人のバランスも申し分なし。
立ち位置として、まず影響を受けているアーティストでいうとプリンスが出てくる。思考は海外に向いていて似たサウンドは日本にあまり聞かない気がしている。
若手のクリエーター界隈とつながりが強そうなのと、インディーポップのシャムキャッツ、スカート、なつやすみバンド、王舟、トリプルファイヤー、カクバリズム界隈のceroやVIDEO TAPE MUSICとも交友がありそう。
cero高城くんもラジオで天気予報かけてたし、オラリーもアルバム評価してたし、上世代からもかなり認められてて演奏も上手。
7月ごろの音楽雑誌をブックオフに漁りに行ってもう少し詳しく勉強してみよう。まだまだミツメ熱は冷めない!
このMVいま初めて見て衝撃的だった。
オブジェ/ミツメ
星野源はなぜ売れたのか①
星野源はどうして売れたのか?
わたしは少し前まで、星野源さんのことが大好きだった。過去形で書いているのは、今では当時ほどの熱はなくなってしまったからだけど、今でもテレビで見かけたり新曲を発売してメディアで紹介されていると「お!」と思って見ている。
星野源さんのことは、SAKEROCKのころから知っていた。ソロ活動をしていて細野晴臣さんや奥田民生さんらと交友があることなんかは知っていたけど、そのころは「くせのうた」いいよね〜くらいだった気がする。
それから彼は病気になって活動を休止し、武道館ライブで復活したころ。2013年に公開された園子温監督の映画「地獄でなぜ悪い」を見た。渋谷のわりと狭い映画館に、高校の後輩とデートで見に行った。見終えたわたしの第一声は「映画館でこんなに声を出して笑ったのは初めて」。かなりの衝撃があって、今でもすきな映画TOP3に食い込む。ここでちゃんと星野源のことを「すきだ」と思った。
それからは彼の音楽、執筆物、映画、過去のドラマなどすべてをチェックした。大阪まで、大人の☆新感線ラストフラワーズを見に行った。音楽でとくに心を打たれたのが、ちゃんと聞いた「エピソード」というアルバムに収録されている「くだらないの中に」と「布団」。
「首筋の匂いがパンのよう」むかし付き合っていた高身長の彼は、首元が焼きたてのパンのような匂いがしていた。それを嗅ぐのが大好きだった。首元のパンの匂いを歌っていることに、言いようのない感動が溢れて、妙に親近感を持った。
「いってらっしゃいが今日も言えなかったな 車にはねられたらどうしよう」この感覚も、わたしはよく抱いたことがあった。こんなことしてしまって、二度と帰ってこなかったらどうする? 「おはよう」が今日はちゃんと言えなかったからその分「おかえりなさい」は2回分言おう。それでなんとなく埋め合わせられる自分ルールだった。
星野源さんのことを語ると、”思っている”以上に”思っている”ことが多かったので、この辺で割愛します。
古参ぶるつもりはないし今でも魅力的で天才的な人だと思っているけど、2015年のSUNがヒットして紅白歌合戦に登場してからはなんだか一線を引いてしまった。というのは大きくなったからというより、星野源さん以外にもそのころすてきな音楽にたくさん出会ったので、シフトチェンジしていったという感覚。彼は病気を経て、過去のような死やネガティブな感情を歌う暗い曲を封印して、CRAZYCRAZYやSUNや恋などのポップスを歌うようになった。カクバリズムからアミューズへ移籍して、SAKEROCKを解散し、二階堂ふみと熱愛報道が流れた。街ゆく女の子に好きな芸能人を聞けば「星野源」と答える時代。すごい。
ここで考えたいと思ったのは、なぜ星野源は売れたのか?ということ。マルチな才能を持つ天才だとか、塩顔イケメンなのに下ネタばっかりいうギャップとかいろいろ言われているけど、どうしてここまで注目されるようになったのか考えてみたい。
1 縦と横のつながり
わたしが知っている限りでは、細野晴臣や奥田民生ととても仲がいいし、サカナクション山口一郎、宮藤官九郎、松尾スズキ、笑福亭鶴瓶、長岡亮介などなど(順番が変だけど)業界の縦と横のつながりがとても強いと思う。周りの人が応援したいと思うような人なんだと思うし、同性からも人気があるのは大きな後ろ盾なんだと思う。
2 とっつきやすさ、親しみやすさ
星野源さんはいわゆるイケメン枠ではないので、好きになる敷居みたいなものが低い。好きでいてもいいよね? と思わせてくれる。話すことも気さくだし、大物感もない。歌う曲も明るいポップスでポジティブだし、超売れ線ではないから入って行きやすい。とにかく「好きになりやすい」要素がたくさん詰まっている。ヒラマサさんの「むずキュン」もまさにこれでしょう。
3 過去の意外性
星野源を紹介するときにだいたい出てくるのが、くも膜下出血の話とむかしの心の病気のはなし。苦労人としてがんばってきた過去がファンの心をつかむのだろうか。二面性があるところはたしかに興味をひく。
この記事を書き始めたとき、星野源はなぜ売れたのか?をもっと解説的に書きたいとイメージしていたのに、結局はわたしがどれだけ好きだったのかを整理するための記事になってしまった。。それで分かったのは、やっぱり星野源さんのことが好きだということと、魅力的な人だな!ということでした。わたしは役者をやっている方も大好きだから、また大人計画の舞台に立ってほしい。
星野源/知らない